
▼9月30日、日曜日
30年ぶりにF1日本GPの決勝レース日を迎えた富士スピードウェイは、31年前に日本で初めてF1が開催されたときと同様、冷たい雨が降るあいにくの天候の下で、レーススタートとなる午後1時半を迎えた。
天候の回復が見込まれなかったため、レースはセーフティカー先導によるローリング走行でスタートが切られることとなった。通常であれば、2〜3周でスタートが切られるのだが、この日の富士スピードウェイは雨脚がなかなか弱まらず、セーフティカーランは10周以上も続いた。そして、13周目に山本左近がピットインする。
「あれはチームの判断だったんです。レースが天候不良で最後まで行われず、75%をを過ぎたところでチェッカーフラッグとなる可能性が考えられたので、セーフティカーランのときにそこまで走りきれる燃料を搭載してしまおう」という作戦だった。その作戦が決して奇襲でなかったことは、その後、数人のドライバーが左近と同じ戦略でセーフティカーランに燃料を満タンにしてコーに復帰していたことからもわかる。そして、20周目にセーフティカーが解除され、ローリング状態からレースがスタートする。
「セーフティカーランのときですら、視界が20m先ぐらいまでしかなくて、ほとんど何も見えない中、気持ちを張りつめたまま隊列の後について走行していたので、実際にレースがスタートすると、水煙がものすごい勢いで目の前にできて、本当にどこを走っていいのかわからない状況でした。だから、いつもよりマージンをとって1コーナーに向かっていったんです。それでも、1コーナーではすぐにみんなに追いついたので、ほかのドライバーも今回のスタートは相当厳しい状況だったんだと思いますよ」という左近は、アクシデントに巻き込まれることもなく、悪コンディションの中、冷静なレースを展開。レース終盤には一時、トップ10内を走行するのである。
「もちろん、ピットボードや無線で順位は確認していたので、それは知っていましたが、レース中は、ほとんど前が見えない状況だったので、目の前で起きていることにとにかく集中していました。だから、自分がいまどこを走っていて、何周目で、何位なのかをゆっくり把握する余裕はありませんでした。それくらい、今日のレースは厳しかったし、そのレースで完走を果たすことができたので、いまは満足」と笑顔で振り返った左近。そこには、2年連続で日本GPを完走した充実感が漂っていた。そして、そんなベストレースのひとつを、地元日本のファンの前で披露できた喜びもあふれていた。
「今日のレースを戦い終えて、まず言いたいことは、このような悪コンディションの中、2時間以上も熱い応援をしていただいたファンの皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。ヘアピンに進入したときなど、前方のスタンドに大勢のファンの皆さんがいる光景を見て、本当に勇気づけられまし、母国グランプリっていいなあと、あらためて感じることができました。だから、来年ももう一度、この舞台に立って、今度は完走するだけでなく、結果を出して恩返しができればいいなと思っています」
07年第15戦日本GP決勝レース12位完走。これは昨年のドイツGPでF1デビューを果たして以来の、左近にとってベストリザルト。しかも、内容はそれ以上に濃いベストレースだった。
(Text/Masahiro Owari)
